名古屋城の謎
2025-12-02 17:08:24

名古屋城の謎に迫る!歴史学者・磯田道史が解き明かす三つの真実

名古屋城のミステリーに挑戦



今宵、12月3日(水)夜9時から放送されるBS日テレの番組『磯田道史の歴史をゆく』では、名古屋城に秘められた三つの謎に歴史学者・磯田道史が挑む企画が用意されています。この番組では、「金のシャチホコ盗難事件」、「清正石を運んだ人物」、「名古屋城の抜け穴伝説」という、魅力的なテーマを取り上げます。歴史の真実とロマンを解明し、視聴者を楽しませる磯田の語り口には定評があります。

謎①:金のシャチホコの盗難事件とは?


名古屋城の天守に鎮座する金のシャチホコ。その重さは約280kg、さらには数十億円の価値があるとされます。この貴重な財宝を誰が盗んだのか。江戸時代の有名な泥棒、柿木金助が大凧に乗ってシャチホコの鱗を奪うという伝説が有名ですが、実際には他の犯人が存在したとのこと。番組では、昭和戦前に足場から金のシャチの鱗58枚をペンチで剥がし、盗んだ犯人が逮捕された驚くべき事件を紹介します。

また戦後には、名古屋に駐留していた進駐軍が多くの金シャチを接収していたことも明らかにされます。名古屋市の職員が一部を隠していたという勇敢なエピソードも併せて紹介されるでしょう。

謎②:清正石を運んだ人物とは?


清正石と呼ばれるその巨石は、名古屋城の石垣づくりの名手、加藤清正が運んだという言い伝えがあります。果たしてそれは本当なのか?磯田氏の調査によれば、実際には意外な別の人物がこの巨石を運ぶ役割を担っていたという真実が明らかになります。どのような人物がこの偉業を成し遂げたのか、楽しみにしましょう。

謎③:名古屋城の抜け穴伝説の真相は?


長年、名古屋城に関する話題として語られてきた「抜け穴」の存在。二の丸庭園から水堀を渡り、長野県の木曽路へと逃げるルートがあると噂されています。果たして、この伝説には真実があるのか?現場を直に調査した磯田氏は、その抜け洞穴の存在を確認することができたのでしょうか?

磯田道史氏のコメント


磯田道史氏は、「今回は名古屋城に眠る未解決の三つの謎に迫りました。金のシャチホコ盗難事件については、江戸時代に盗んだ泥棒がいたのかを検証しましたが、実際には城主の尾張徳川家がシャチの金を洞察筋になくす利益を得ている」という意外な事実に気づきました。また、清正石を運んだのは加藤清正ではなかったことも分かりました。そして名古屋城に噂される抜け穴伝説についても、怪しい通路を特定しました。現場調査は驚きに満ちています。

この放送は、お城ファンにとって見逃せない内容となっています。歴史の隠れた一面を知ることができる貴重な機会です。はたして名古屋城が抱える謎に、一体どのような結論が待ち受けているのでしょうか。お楽しみに!


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