異例のテレビ放映も収入ゼロ!?赤井英和の告白
ここ数年来、日本のボクシング界の異彩を放つ男、赤井英和。彼が『しくじり先生』という番組で語った言葉は、多くの人の心に響くものでした。11月7日に放送された最新回では、彼の波乱万丈な人生が明らかになりました。ボクシング界の若きスターだった赤井は、意外にも「ファイトマネーは0円」と衝撃的な金銭事情を告白。この裏には、「テレビの放映権や激励賞も一切入らなかった」という驚きの実態がありました。彼は「当時は一生懸命で全然わかってなかった」と振り返ります。
赤井のキャリアはその人気に反して経済的には厳しいものでした。プロデビューから12戦連続KO勝利を達成し、8戦目以降はテレビ放映までされるという異例の成功を収めたものの、実際の収入はチケット販売のみ。そのため、赤井は「会長に騙されていたのでは?」という疑問を抱くようになりました。彼は振り返ります。「4畳半のジムを運営していたが、その後駅前にビルが建った」。彼の言葉には、当時の混乱と失望が色濃く表れています。
突然の失踪とその真相
プロボクサーとして輝かしいキャリアを誇った赤井。しかし、1983年に初の世界タイトルマッチに挑戦し、TKO負けを喫した後、彼の心に影を落とす出来事が待ち受けていました。トレーニングから遠ざかり、「酒に溺れる日々」を過ごすようになった赤井は、再起をかけた試合を前にして突如失踪します。「モチベーションが上がらず、金銭的な不満もあった」と彼はその背景を語ります。この失踪は自らの心の迷いや、経済的な辛さから来ていたことを理解したのです。
失踪後、彼は後援会の説得を受けてリングに戻りますが、練習しない日々が続きました。その結果、前哨戦でKO負けを喫し、重体に陥ることになります。診断された病名は「急性硬膜下血腫・脳挫傷」、そして医師からは「もうボクシングはできません」と言い渡され、彼はわずか25歳で現役を引退することとなったのです。
赤井英和を救った言葉
引退後、赤井は「将来のことを考えることがなく、空白の日々」を過ごすようになりました。そんな彼を救ったのが、浪速高校の先輩である笑福亭鶴瓶師匠でした。「お前の人生おもろいから本に書いたらどうや」という一言が、赤井の運命を変えるきっかけとなったのです。彼は自叙伝を執筆し、それが映画化されると、主演として俳優デビューを果たします。この出来事は、赤井の人生を再生させる大きな一歩となりました。
赤井の人生は、ボクシングの世界だけでなく、芸能界でも濃厚な支持を受けています。彼はその後も映画新人賞を多く受賞し、俳優としての道を切り開いていくのです。番組内では、現役引退の引き金となった手術後の心情や初主演映画の制作裏話など、赤井英和のボクシング人生が詳しく紹介されました。
ABEMAでの『しくじり先生 俺みたいになるな!!』の放送は、毎月第1〜3金曜日の夜9時30分から配信中です。ぜひ、彼の感動的な物語をチェックしてみてください。