戦争と平和の願い
2025-03-18 12:15:33

ウクライナの母娘が辿る福山での新たな生活と平和への願い

戦争がもたらす避難と新たな希望



2025年1月、ウクライナはロシアの軍事侵攻から3年を迎えました。この混乱の中、広島県福山市にはウクライナから避難してきた38人の人々が生活しています。その中の一人、アンナ・セメネンコさんと彼女の子供たちの物語に迫ります。

避難の決断



アンナさんはウクライナの東部に位置するハルキウ出身。3年前、ウクライナの美しい町で家族とともに幸せな日々を送っていました。しかし、ロシアによる侵攻が始まったことで、その生活は一変します。夫を残し、2人の娘とともに福山市へ避難する決断をしたのは、2人の子どもに対する深い愛情からでした。彼女はこう語ります。「もし子供が怪我を負ったり殺されたりしたら、自分を責めてしまうと思った。夫は避難できなかったので、怖くても自分一人で逃げるしかなかった」と語るアンナさん。母としての強い決意が感じられます。

ピンチの中でも、アンナさんは子供たちを守り、少しでも安心できる環境を作るため、必死に努力を続けています。避難後、彼女たちは福山市に到着し、生活を始めました。

新たな生活のリアル



アンナさんは当初、避難生活が長引くとは考えず、3ヶ月で帰れるだろうと楽観的でした。しかし、時が経つにつれ、未来の見通しはますます不透明になり、2年近くが経過しました。彼女は毎日、夫アンドリーさんとテレビ電話で連絡を取り合い、互いの近況を確認しています。しかし、当初の計画とは裏腹に避難生活は続いています。

長女のエヴァちゃんは小学校に進学し、福山市での新しい生活にも少しずつ慣れてきました。また、自宅ではウクライナの小学校のリモート授業も受けています。アンナさんは自分自身の日本語の勉強にも続けて取り組んでおり、検定試験を目指すことも決めました。その成長は、彼女自身の希望の象徴と言えます。

未来への不安と願い



でも、安心できる未来が待っているわけではありません。現在、民間の生活支援金は2025年7月までの期限があり、その後の生活がどうなるのかという不安はついて回ります。アンナさんは「この笑顔を守るためにも、戦争が続く限りは戻れない」と胸の内を語りました。生活が不安定な中、彼女は福山市内のレストランで週に2回働き始め、少しでも支援に繋がるよう努力しています。

彼女は、いちばん大切なことを一貫して抱き続けています。「早く戦争が終わり、家族を再び一緒にしたい」という願いは、この数年間の過酷な状況においても決して変わることはありません。

在日ウクライナ人としての生活、そして日本での新しい環境での挑戦。その全てにおいてアンナさんの強さが光っているのを感じます。彼女と娘たちが新しい生活に順応しながら抱える不安や希望、その思いを私たちも共有し、未来へ向けて共に進んでいかなければなりません。

女性と子どもたちが安心して暮らせる日々が訪れることを願い、戦争の終結に向けた願いを私たちも持ち続けましょう。

「Hiroshima Peace Program TSS アーカイブプロジェクト」についても知っておいてほしいですね。多くの人々にこの状況を知ってもらうために、英語字幕付きで配信する取り組みが行われています。

(記事は「TSSライク!」『2025年2月24日放送取材担当:TSS報道部石井百恵』を基にしています。)


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