山内惠介、デビューからの25年間を振り返る特別番組
4月23日(水)に放送されたBS日テレの特別番組「歌謡プレミアム特別版」にて、演歌界の貴公子である山内惠介がデビュー25周年を迎え、その歩みを振り返る様子が放送された。彼は、デビュー当初の葛藤や思い出、そして母との深い絆を胸に語った。
若き日に歌い上げた「霧情」
山内は2001年に17歳という若さでデビュー。キャッチフレーズ「ぼくはエンカな高校生」で世に出たが、デビュー曲「霧情」は、当時の自分には難解な内容だったことを告白した。「もっと明るい曲でデビューしたかった」と本音を漏らす一方で、25年経った今、デビュー曲の選択が正しかったことを実感している。
「霧情」は、彼の声が女性の心情を巧みに捉えた作品だ。実際に、女性をテーマにした楽曲が多く、山内自身も「女歌でデビューするのが正しかった」との思いを語った。番組内では、感慨深くこの曲を披露し、観客に感動を与えた。
母への思いと下積み時代
山内は、歌手としての道のりが順風満帆ではなかったことを振り返る。上京後の辛い経験や、ホームシックに苦しんだ日々を語り、特に母との再会に聞く人の心を打った。彼は、母から送り出された実家の扇風機を今も大切に使っているという。
彼は、音信不通だった6年間の思い出を強く抱えており、母との再会が祖母の葬儀の場であったことに、苦境を乗り越えていく力を感じている。その母が言った「あなたは歌っている時が一番幸せだ」という言葉が、今の山内を支えている。
ヒット曲誕生と紅白出場の夢
13年の月日が流れ、彼に訪れたヒット曲が「恋の手本」。この曲で初めてチャートのトップ10に食い込んだだけでなく、主演を務めた舞台での経験も活かされた。続く2015年には念願だった紅白歌合戦に初出場を果たし、涙ながらにその瞬間を振り返った。母への感謝の気持ちを込めて歌った「スポットライト」は、一生忘れない思い出として心に刻まれている。
その後も、毎年の紅白での活躍を続けており、特に高校の後輩である椎名林檎との共演を喜びとして語った。山内は彼女に楽曲制作を依頼し、「喜んで」との返答に心躍らせる姿が印象的だった。
地元・糸島の魅力と歌手としての活動
番組では、故郷糸島のグルメをスタジオで紹介する場面もあり、地元への愛情を表した。また、村田英雄の「無法松の一生」や天童よしみの「旅まくら」をカバーするシーンもあり、深い交友関係に対する思いを述べた。山内は、ファンの声を何よりも大切にしており、自身のコンサートでもその気持ちを大いに表現している。
時には辛い日々もあったが、そのすべてが山内惠介というアーティストを形成してきた。彼の25年の軌跡は、視聴者に感動を与え、これからのさらなる活躍へとつながることだろう。